忘れないで、1985年8月12日の日航機墜落事故を
1985年8月12日、羽田発伊丹行きの日航123便が御巣鷹の尾根に墜落するという痛ましい事故が発生しました。
今朝のニュースで報じられていた遺族の言葉、「この日を思い出すのが辛いのではなくて、月日がたって忘れられるのが辛い」が非常に印象的でした。
事故詳細については事故調の報告書ほか、さまざまな書籍が出版されているのでここでは記載しませんが、いまだに”本当の事故原因を明らかにしてほしい”という声があります。
それがあってこそ、事故の再発防止が可能となりますし、亡くなった520名の命が報われます。
本当に急減圧はあったのか
早すぎたBoeing社の修理ミスを認める発表
異例にも公開されたFVR
8.12を忘れない為に、風化させない為に、
写真は、事故機と同型機のJAL Boeing747SRです。
(昔撮影した写真をスキャンした為、不鮮明ですが)
羽田空港のRWY15Lを離陸するBoeing747SR JA8118(事故機はJA8119)
伊丹空港にアプローチするBoeing747SR JA8124
JAL123が羽田空港を離陸したのは1985年8月12日の18時12分。
RWY15Lからの離陸でした。
そしてJAL123からスコーク7700が発信されたのが18時24分。
昨日、城南島海浜公園に行ってきました。
下の写真は、羽田空港のRWY16LへアプローチするJALのBoeing747-400。
時刻は18時28分。
その後も夕暮れの空の中、次々に飛行機が降りてきます。
事故当日、JAL123はこの時間帯に何とか羽田に帰還しようと格闘していたんですね。
今の時期の日没時刻は18時35分頃。
夕闇迫る空の中、思うようにコントロールできない機体を524名の生命を背負って何とか地上に戻そうと格闘したクルーの格闘は想像に絶します。
JAL123の事故で命を落とされた方々のご冥福をお祈りします。
そして、
空の安全を祈念します。
☆たかしさん、
25年・・・・長くもあり、短くもあり。
JAL123の悲劇が2度と繰り返されぬよう願うばかりです。
FVRの音声、壮絶でした。
コックピットクルーは最後まであきらめずに、地上に戻ろうと苦闘していました。
1つのフライトには多くの方が関わっています。
全員が、安全への意識を高く持って初めて安全なフライトが
実現します。
JALは再生の途中ですが、安全第一で再生を図って欲しいと思います。
痛ましい事故です。
未だに 音声を 聴くことが 出来ませんし JAL機に 乗ることも 躊躇します。
学生時代のクラスメイトのお父さんと 1個上の先輩の お父さんが 乗っていました。
事故後 学校に来た 友人と先輩は 悲しみに暮れていませんでした。毅然としていました。
その姿を まともに見れず 胸が締め付けられたのを 今でも覚えています。
ご冥福を お祈り致します。
こういう悲惨な事故のもとに今の空の安全が確保されている
んですよね。同じような事故が二度と起こらないように
祈るばかりです。
JAL123便の乗員、乗客のご冥福をお祈りします。
話変わりますけど、夕方の写真いいじゃないですか?!
おはようございます。
25年前の、この日はサラリーマンの時で、夏休み中でした。夜の7時30分頃から次の日までテレビに釘付けでした。今でも映像を、はっきり覚えています。真っ暗い闇の中に燃え盛る炎が‥‥。ど素人の自分でも、、なぜ場所が特定出来ないの?って‥‥。色々な出版書を読みましたが、この事故には多くの疑問が有る様に思います。今となっては、本当の事故原因を解明するのは無理な様ですが、乗員乗客520名の尊い命を無駄にしない様、安全な運行を願います。
無念にも幸せを約束された人生を奪われ、命を落とされた
520名の方々に、ご冥福をお祈り致します。
貴重な写真ありがとうございまうす。25年前の事故のときは、まだ飛行機に乗ったことも無かったけど、近所の御一家でご主人だけ残して3人が犠牲にあわれたのを覚えています。また仕事関係でも2名のかたが係っていました。とりわけ、夏休み小学生ひとり旅で事故にあわれた少年の、最後の30分に一人ぼっちの寂しさを思うと、いたたまれません。今公開されている操縦席の音声は、T機長の最後まであきらめい責任感がかえって壮絶さを伝えますよね。記憶違いかもしれませんが、T機長は羽田沖墜落事故(K機長)のときに非番で搭乗していたとか。すべての方のご冥福を祈ると共に、一利用者としても安全のためには規則は守らないといけないと思います。話かわりますが、前回BAに乗ったとき、荷物検査はとてもうるさいくせして、搭乗時や機長がトイレに行くときは操縦席の扉は開けっ放し(中が見れていいのですが)、機内では携帯かけている奴がいる、もちろん食事のときのナイフは金属製、う~ん、よくわからない国だ、英国は。
当時、高校生でした。夕過ぎからテレビで速報が流れていました。もちろん私にはどうする事も出来ず祈るだけでした。
未だに何も出来ませんがAIRMANさんのブログを通じて後々に伝えていきたいです。
この事故があったとき、私はまだ生まれていませんでした。
ですが、何年か前にこの事故を題材にしたドラマを見てかなりショックを受けました。大好きな飛行機が、こんな風になってしまうなんて。と。
そして、ひとつのフライトが多くの人によって支えられていることも知りました。
空の安全を祈ります。
☆コメントをお寄せいただいた皆様、
1985年の夏の事故を身近に感じた方も、
また生まれていなかった方も、
いろいろな方々が、
JAL123の事故を、
「風化させてはいけない」
そして、「空の安全を支える心の記憶にして欲しい」
という想いで捉えていることが分かりました。
そして、空を愛する、飛行機を愛する皆さんに
共通していることをあらためて、痛切に感じました。
航空関係者だけでなく、航空ファンも一緒になり、
日本の、世界の空の安全を祈り、守っていきたいものです。
とても励みになるコメント、本当にありがとうございます。
個別にお返事を書けず、申し訳ありません。
こんばんは
御巣高の尾根からすでに25年 あの時間私は友人と二人で登山で訪れた北アルプスの白馬岳山頂にいました。そうあの時間にです。まさかあんあことが起こるとは夢にも思っていませんでした。改めて空の安全を祈るだけです。
ところで、明日はどちらに?私は成田の予定です!
ではでは~
☆aMigOさん、
空の安全を願います。
大好きな飛行機に事故を起こして欲しくないですよね。
飛行機の安全はみんなで築き上げるものです。
私もその一翼を担いたいと思います。(航空ファンとして)
本日は仕事です。。。
(昨日から)
それでは、また!
僕はこの当時生まれてませんがニュース見ました。
朝日新聞で最近この事故のことが書いてあってそれを見てると感動してしまいます。 二度とこんな悲惨な事故が起きないように徹底してほしいです。
(乗っている乗客が多いので1回の事故でもたくさんの人の命がどこかえ飛んでいってしまうんですね・・・)
☆HTTさん、
学校から帰宅し、TVを見ていたときに突然飛び込んできた、
「日航機がレーダーから消えた」というニュース。
当時、私自身空を飛んでいたので、非常に衝撃を受けました。
何紙も新聞を買い、全ての記事をスクラップブックに整理しながら見守りました。
もう25年も経ったんですね。
524人の乗客乗員のうち520名が亡くなるという単独の航空機事故としては最悪の事故でした。
あの事故以降、空の安全は格段に進歩したかと思います。
それでも”0”にはなりません。
常に安全最優先で空の旅を支え続けて欲しいものですね。